たとえば、合理的なものを善しとする経済評論家が、イニシャルコストが高く、燃費が悪く、修理の際のパーツや工賃も高いクルマを評するとしたら「所有することに何のメリットもない」と一刀両断するだろう。そう判断できるのは、数値のみしか見ていないからだ。シートに座った感触、手に伝わるステアリングのフィーリング、加速の爽快さ……、そういった数値化できない部分に関しては完全に無視される。いや、無視されないとしても、数値との比較でたいてい負けることになるだろう。数値至上主義の生き方は、間違いがないかもしれない。でもそれはきっとつまらない。「いやぁ、ほんとに手のかかるクルマでさぁ。困ったよ」と話す人は、本当に困った顔をしていない。むしろうれしそうにすら見えるのは、数値で表せない価値を知っているからだ。
ヴィブルミノリテ初の純然たる4ドアセダンであり、初のターボ車である。ヴァンテアンターボ。その成り立ちは、ルノー18の後継車として1986年に発表された。エンジンは4気筒SOHCで1400cc、1700cc、2000cc、2200cc、そして1900ccと2100ccのディーゼル(2100ccはディーゼルターボ)で構成され、デザインはジウジアーロが担当。4ドア3ボックスのFWDセダンは、居住性の良さをいちばんのウリとするコンサバティブなモデルだった。おそらく、ここまでなら少数派の私たちの間ですら話題にならず、聞かれたら「ああ、そんなクルマもあったね」程度で終わったのかもしれない。しかし、1987年に追加されたヴァンテアンターボが強烈だった。平凡なスタイルはエアロパーツで武装され、オールアルミ製のSOHC4気筒2000ccに空冷インタークーラー付きギャレット製のT3ターボチャージャーを装備。その結果、175ps/27.5kgmのパワー&トルクを発生させた。その性能について、かのポール・フレール氏が「BMW M3やメルセデス190E 2.3-16に匹敵する」と絶賛したとか(ほんまかいな!?)。開発には旧アルピーヌ(現ルノースポール)が携わったという話もあるから、そりゃすごい変貌ぶりである。いたって普通のスーツを着た、いたって普通のオッサンが、背広を脱ぐとあんがいマッチョで驚いた、というくらいインパクトがある(余計にわかりにくくなった)。
他の民族は知らないが、日本人はこういうの、けっこう好きである。平凡なセダンだけど、じつは速い。当時、ヴァンテアンターボのことを「羊の皮を被った狼」、「フレンチロケット」なんて文言で表現されていたのを思い出す。そういう私もその古典的な表現にやられたクチで、ひそかに乗ってみたいなぁ、と思っていた。しかし、残念ながらそんなチャンスに恵まれなかったので、今回乗れることが決まってからかなりワクワクしていた。
現車を前にすると「これでエアロパーツがついているんだ?」と言いたくなるほど地味だ。じゃあノンターボのモデルはどれだけ地味なんだ、と想像してみてもイメージがつかめない。特別なモデルであることを主張するのは、リアスポーラーと「Turbo」と記されたエンブレムくらい。「このクルマ、すんげー速いんだぜ」と言われても、知らない人からは「ほんとかよ」と疑いの眼で返されるに違いない。
事実、スペックだけで見れば、すんげー速いとは思えない。当時はきっとハイスペックだったのだろうけど、現代においての175psはそれほど高性能を謳える数字じゃない。それでも感覚的に速いのである。それはいまとなっては絶滅しかかっている「ドッカンターボ」だからだ。
どこのだれが名づけたか知らないが、ドッカンターボ。その名のとおりある時点から急激に過給がかかり、爆発的な加速を見せる味付けのターボを指す。とはいっても、ターボが出始めた頃はドッカンターボが主流だったのだ。それは制御技術の未熟さか、それともターボという高性能な機構を強調するためなのかは分からないが、とにかく急激なパワーの盛り上がりがターボ車としてのアイデンティティだった。しかし、時代が進むにつれてNAよりちょっと高出力で燃費を稼ぐことを狙った「ロー(ライト)プレッシャーターボ」という手法が出現。さらに現在では小排気量で燃費と環境性能を満たし、ターボで出力を稼ぐ手法が注目されているのはご存じのとおり。だからヴァンテアンターボの味付けはあえてドッカンにしてあるわけではなく「ターボっていったら、こういうもんでしょう」と迷うことはなかったと思う(そういう意味ではヴァンテアンターボの末裔ってメガーヌ2RSなのではないか)。ターボの在り方や求められるものが時代によって変わったのだ。
ヴァンテアンターボに搭載されているのは、非常に古典的な味付けのターボだが、いまそれに乗ると非常に新鮮だ。効いているのか効いていないのか分からないターボばかりになった現代だからこそ、明確に主張してくるターボがバカっぽくていとおしい。
その兆しは3000rpmくらいから現れる。タコメーターの下にあるブースト計を見ていると、そのあたりからムズムズと動きだし、さらに躊躇なくアクセルを踏んでいくと、ヒューンというかすかなタービン音とともに4000rpmくらいからドッカンと来る。しかし、ドッカンターボのくくりで言えば、マイルドなほうだと思う。それは加速感を感じさせないシャシーのつくりに起因しているのかもしれない。ドッカンと来るけど、怖さはまったくなく、そのまま踏み続けているとスピード感を伴わないまま、ただただ速度計の針だけがすごいスピードで上昇していく。
本当に速度感がなくて困る。高速道路に乗ると特に顕著だ。いつも乗ってる1600ccハッチバックと比較するのは無茶だと分かっているが「いまだいたい100km/hだろうなぁ」とスピードメーターで確認すると、それよりもプラス30~40km/hは上乗せされた数字を指している。そんな誤算があっても不安を感じさせないのは、やはりスタビリティの高い脚がしっかり仕事をしているからだと思う。風切音があまりしないのも速度感を狂わす原因かもしれない。ちなみにこんな角ばったボディでありながら、Cd値は0.31と優秀。トヨタ・エスティマも同じ0.31だから形によらないものだなぁ、と思う。
こんなドッカンターボなクルマだから、高速移動が得意な直線番長かと思いきや、ワインディングもあんがいイケる。最初は恐る恐るコーナーに進入し、そのハンドリングを確かめたが、適度にクイックでなかなか気持ちがいい。ホイールベースが約2600mmと長めなので、タイトなコーナーが連続する狭い峠道では、ステアリングと格闘する必要があるし、リアタイヤがワンテンポ遅れて付いてくる感触がする。またフルロックに近い状態で不用意にパワーバンドに入れたりすると、それはそれは肝を冷やすことになるので注意が必要だ。しかし、道幅とアールに余裕のあるワインディングなら、素直なステアフィールを活かして快適に速く走ることができる。
ブレーキもなかなか秀逸だ。アキュームレーター式のABSを装備しているためか、踏んだ感触が独特。ブレーキの効きはじめるポイントが明確ではなく、人によってはスポンジ―と感じるかもしない。またちょっと強めに踏むと押し返されるような反発を感じることも。しかし、それに慣れてくると効きの調整もコントローラブルで、制動力自体もかなり強いことに気付かされる。ちょっとハイペースで攻めるときに、特にその恩恵を感じた。
そしてどうしても記しておきたいのがシートだ。くどいと思われるかもしれないが、やはりルノーのシートは筆舌に尽くしがたい。ただ、ヴァンテアンターボのシートは私がいつも引き合いに出すルーテシア2のシートとはちょっと趣が違う。ルーテシア2や同年代のルノー車のシートはしっとりと包み込むような感触だが、このシートはそれに加え、グッと沈み込むような動きを見せる。座面やサイドサポートの形状も体にフィットし、じつに気持ちがいい。さらに後席は前席よりも沈み込むストロークが大きいように感じる。これはシートというより、もはやソファーである。これまで私が試したルノー車のなかで最高と言っていい。このシートを味わうと、さらに上級のヴァンサンクなんかはどうなんだろう、と興味を抱かずにはいられない。
カングーのシートもいいし、ルーテシア2のシートもいい。でもヴァンテアンターボはさらにその上を行く。スズキさんが「このシートを社用車のカングーに付けたい」というのも納得できる。
いまでは希少となった強烈な加速を味わわせてくれるドッカンターボ、長いホイールベースの割には優れたステアリングフィール、独特だが充分な効きをみせるブレーキ、そして最高に座り心地のいいシート。刺激的でありながら、快適。大人もちゃんと4人乗れ、広いトランクルームで荷物も積める。「これぞクルマ好きに持ってこいのバランスが取れた1台だ」と言いふらしたい気持ちになるのだが、そうは問屋が卸さない。今回のように1、2日借りて乗る分にはいいのだが、実際に所有するとなるとこの車種はイージーではない。
まずは20年近く前のクルマであること。そしていわゆる“60パーツ”と呼ばれる専用部品が数多く使われているので、パーツ代がびっくりするくらい高い場合があること。さらにこの時代のターボ車、燃費なんかそう気にしていないので良いとは言えないこと(街中で5~6km/Lくらいか)。その他にもエンジンにつくベルトの位置関係がおかしなことになっているので整備性が悪いとか、まぁ、とにかく一言でいえば「維持していくのは、大変だよ」に尽きる。そりゃあ、これだけのパフォーマンスを持っていて、ランニングコストも少なく済むならもっと支持されているはず。そうではないのは、このような理由があるからだと思う。
ただ、当該車にいたってはそんな大変なクルマの中にあって案外シャッキリしている。外装はそれなりにやれているけど、見るに耐えないってほどではないし、内装に至ってはかなりきれいだ。シートのへたりも感じられない。よく壊れるといわれるオプションのオートエアコンもしっかり動作する。真夏の直射日光が照りつける日中はさすがに負けるが、ちょっと日が傾けば冷えるし、夜なんかは寒いくらいの風を供給してくれる。エンジンだってまだまだ元気。ドッカンターボもちゃんとドッカンとくる。つまり、ここにくるまでそれなりに手を入られ、大切に扱われた個体だということ。スズキさん曰く「これまで見たヴァンテアンターボの中でベスト5に入るコンディション」だそう(他の4台は全部オーナーズカー)。
ちゃんとしたヴァンテアンターボは、オーナーが気に入ってしっかり面倒を見ている。だからそれほど中古車市場に出てこない。出てくるものといったら、面倒見るのをあきらめちゃった適当な車両が多いのだとか。そんな中にあって、この個体は珍しくちゃんとしてるれっきとした売り物だ。
数値に表せない価値。
いまのクルマにはない尖ったエンジン性能、おとなしそうな顔つきでありながら、じつは速いというはっきりした二面性。実用にも耐え得るボディ形状……。このようなメリットとランニングコストの高さというデメリットを天秤にかけた結果、さぁ、あなたはどっち? と逡巡。そのあげく、わずかにメリットのほうがまさった人たちが、いまも大切に乗っているヴァンテアンターボの数少ないオーナーたちだ。すごいよね、この時代「環境だ環境だ」と言って燃費競争に躍起になってる傍ら、そんな人たちを涼しげ(心中はそうじゃないかもしれないけど)に見ながら「好きだから」という理由だけでこんなクルマ(失礼!)を所有しつづけている人たちがいる……。本当に敬意を表したい。
彼らもきっと「いやぁ、ほんとに手のかかるクルマでさぁ。困ったよ」と泣きのセリフのひとつやふたつ吐いたことがあるだろう。しかし、そう言いながらシートに座ってアクセルを踏めば「やっぱいいなぁ……」と思わず笑顔になれる。その瞬間の密度と深さは、決して数値至上主義者には分かり得ないだろう。
PHOTO & TEXT/Morita Eiichi
1993y RENAULT 21 Turbo
全長×全幅×全高/4498mm×1720mm×1379mm
ホイールベース/2596mm
車両重量/1190kg
エンジン/水冷直列4気筒SOHC
排気量/1995cc
最大出力/129kW(175PS)/5200rpm
最大トルク/270Nm(27.5kgm)/3000rpm