変化が受け入れられない気質
ここ数日、Lancia YpsilonのD.F.N.をちょこまかと乗ってたんですが・・・
D.F.N.、いわゆる自動変速、おもいっきし、仏法を仏教で説明するが如く(多分違)わかりやすく言うと、マニュアルトランスミッションを自動で変速させるもの。ワタシは敢えて”自動変速”と言っていますが・・・
マニュアルトランスミッション、なので、パワーのロスが少ないのがいいところ。運転しててもダイレクト感がある。
逆に、旧来のオートマチックトランスミッション(以下ATと略)は、スムーズに変速するのはいいが、どうしてもロスしてる感がある。アクセルをがばっと踏んでも車は前に行かない、のたーと付いてくるとか。
他にも、C.V.T.(以下CVTと略)の無段階変速というのもある。これはパワーのロスを最小限にとどめるために、ベルトが掛かってるプーリーの径を可変させて無段階に変速させようというもの。理論的にはオートマチックトランスミッションよりロスが少ないはずなのだが、結果プーリーを駆動する油圧にパワーがとられ、かつ、ベルトで大きなパワーを料しえないため、小排気量車に限られていた。最近はだんだん大排気量車にも用いられるようになってきましたが・・・
が、多分、パワーのロスを最小限にとどめるには、きっと最初の”自動変速”に勝るものはないかと、現在では。
Lancia/D.F.N.,FIAT/Dualogic,Alfa Romeo/Selespeed,RENAULT/Quickshift5,SMART等々、各社がんばってこの手の自動変速を小型車に導入してます。主な狙いは、小型車でエンジンパワーに限りがあるものに、上述のATやCVTのようにパワーをロスすると、彼らの感覚であるところの、”へっとも走らん”になってしまう。それを避けるための最適解として、この自動変速を積極的に導入してるのではなかろうかと。
が、コト極東の島国日本に於いては、普通のATが巷に跳梁跋扈していて、それがスタンダードのようになっている。希にCVTすら、自動変速に至っては、”気持ち悪い”くらいの評価を受けてしまう。
らしいんです。
ってのは、ワタシ、ATやCVTと自動変速は別物だと思ってるので、”をおマニュアルを自動で変速してく!しかも機械のくせに割と上手い!楽だ楽だ!”と思ってしまうので、あんま気持ち悪いと思わないんですよね。ギクシャクするってのは機械の使い方で概ね補完できてるし。割と快適。あんま文句が出ない。
いかんですわ、一般のユーザーさんの気持ちがワカランくなってる。
いや、でも、そうやって考えると、よくできてるんですってば。そんな高価なクルマでないのにそんな複雑な、人間ですら自動車学校で練習して、それでもウマイヘタがある。最近では最初からそれを省くヒトが主流になりつつあることを、普遍的に機械で賄おうとしてるんだから、スゴイコトです。
って考えて、乗ると、いいんですよこれが。別物と考えましょう。それが許容できないのだったら、旧態依然としたATをお勧めしますよ。
って、そもそも、ワタシは左ハンドルマニュアル原理主義者なので、ハンドルが左にあってもウィンカーが左にあっても、それを全て受け入れちゃう柔軟さがあるから、違和感として自覚しないだけ、なのかもしれないですね。
それがヤだとか困るとか、あんまし思わない。道具は使い方で、機械に合わせさせるよりヒトの方が数倍融通つくし。
が、既に一般のヒトの感覚から乖離してるのか???
例え右ハンドルは世界では10%以下のマイノリティーであっても、ウィンカーが右にあるのは極東の島国日本だけであっても・・・
でも世界で見ると、自動変速を積極的に導入してたり、車毎ユーザーインターフェースなんて細かく見ていくと千差万別。今日預かったバケモノ屋根開き車なんて、乗ったが最後内側からドアをどう開けるかわっかんないっすから!たまーにライトのつけ方すらワカランクルマとか、いますねぇ。
そういうことがあっても、割と許されているのが、世界。
そうか!世界の90%のヒトはすんげぃく器用かつ柔軟性に富んだ新しい技術を素直に率直に受け入れる人々なんだ!だから自分たちが信じる新しいことにも果敢に挑戦して製品化して量産して売っちゃうんだ!(違)
10%のヒトがそれを受け入れられなくて旧態依然としたものをキャリーオーバーして時代に乗り遅れていくのか!(絶対違)
って、極論ですね。
そう、機械なんて所詮機械だから、人間より優れてるわけがない。
機械を使う人間の、機械の使い方。