「普通」という言葉は不思議なニュアンスを持つ。普通の意味は「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。また、そのさま」とある。ただ、2000年代に入ってから「普通においしい」とか「普通におもしろい」といった表現が用いられるようになった。これはいずれも「おいしい、おもしろいよりもほんの少し劣る」という意味合いを持っている気がする。感動するほどおいしく(おもしろく)はないが、合格である、といった感じだろうか。このような表現が生まれるようになったのは、この世にある製品やサービスの質が全般的に向上し、普通以下と思えるものが少なくなってきたせいだろう。製品やサービスを評価する際、普通、おいしい、だけではなく、普通とおいしいの中間という評価も必要になり、生まれてきたのではないだろうか。それに加え、僕は「普通」の意味として新たな定義を提案したい。
RENAULT Lutecia3 1.6 16V
4月 7th, 2022CITROEN C2 1.6 VTS
3月 5th, 2022親戚の家に行ったときの話。そこの家は台所や洗面台などの水回りがとにかく汚い。汚れがこびりつき、カビが生え、まったくきれい好きではない僕でさえ、使うのをためらうくらいだ。「この家の人たちは、よくこんな状況で毎日使っていられるな」と感心するほどなのだが、先日、自分の家で妻から「このバスタオル、もう捨てたら?」と言われ、ハッとした。そのバスタオルをあらためて観察すると、端を折り返している糸が取れてボロボロになっており、色ももともとグレーだったの? と思えるほどグレーだ(もちろん最初は白)。身体を拭くものではなく、大きなウエスですと言ったほうがいい。それを僕は平気で使っていたのだ。何年も。当の本人はまったく気にしていないが、他人から見るとものすごく気になる。僕が使っていたバスタオルは、程度や種類の違いこそあれ、親戚の家のカビだらけの水回りと同じだ。最初は汚いと思っていても、それを継続していれば、それがその人にとっての普通になる。