高級車の定義とは何か? クルマ好きならきっと一度は考えたことがあるテーマだろう。スポーツカーの定義とは何か? と同じように。ある人は「高価格であること」を挙げ、ある人は「充足感の高さ」だという。またある人は「ハイブランドのメーカーがつくったクルマすべてだ」と言い、またある人は「要人に選ばれるクルマであること」と主張する。これらの答えはすべて正解であり、すべてが側面的である。絶対的な正解はない。人それぞれと言ってしまえば根も葉もないが、そういうものである。
私の考える高級車の定義は「高級車という認識が、クルマをつくる側(メーカー)とクルマを受ける側(ユーザー)の両者間で『合意』された製品」である。つくり手が「このクルマは高級車です」と言っても、ユーザーが「このクルマは高級車じゃない」と認識すれば、そのクルマは高級車ではない。その逆もしかり。ユーザーだけが高級車だと認識しても、それはそれで充分なのだが、やはりそのクルマは高級車ではないように思う。
今回ご紹介するクルマは、きっとラテン車に乗っている、とりわけフランス車ユーザーには有名な1台かもしれない。プジョー106グリフ。深いグリーンにベージュの革シートを持ったハッチバックだ。
プジョー106は、プジョーのラインナップの中でもいちばんベーシックなラインを受け持つモデルで、フランス本国では1991年に登場している。3ドアと5ドアがあり、エンジンは1.0、1.1、1.3、1.4(キャブ/インジェクション)、1.5(ディーゼル)、1.6(XSi)と多彩なラインナップを持っている(この前期モデルはS1と呼ばれる)。
1996年にはS2(後期)にモデルチェンジ。1.6リッターツインカムのS16が追加された。2003年に販売を終了し、その後の2005年から107にその代を譲った、というのがかんたんな生い立ちだ。
日本には1995年にXSiが導入され、S2になってからはS16のみがディーラーで販売されるようになった。XSiはもうほとんど見なくなったけど、S1、S2のラリーとS16は走り好きのユーザーに支持され、いまもなおその魅力に憑りつかれているユーザーも多い。ラテン車のサーキットイベントではいまだに現役だし、フランス車のユーザーミーティングでも数こそ少ないものの、必ず見かけるクルマだ。そこまで愛されるのは、優れたパッケージ、よく回るエンジン、そしてS16が持つ刺激的な(もしくは危うい)足回りという現代のクルマでは味わえない個性を持っているからだろう。
そういうわけで日本では「106=走りのクルマ」のイメージだが、当該車が有名になったのは、そのイメージとは真逆の5ドアであり、革シート+ウッドパネルという高級車が持っているような装備があるからだろう。そう、高級車の代名詞「革シートとウッドパネル」。日本で走りのイメージを持つ106にまるで似合わない(であろう)装備があることに、このクルマの存在価値はある。
当該車は1994年に輸入され、ファーストオーナーのもとで数年間を過ごした後、南の方へ旅立つ。そこで十数年間大切に所有され、再びファーストオーナーのもとに舞い戻ってきたという。そして現在、4人目のオーナーがこのクルマをさらにブラッシュアップしようとしている。実は輸入当時、このクルマを輸入した後に2台目を注文しようとしたらしいが、そのときすでに製造中止になっており、発注できなかったようだ。しかし、ある国に3ドアのグリフが数台残っていたので、そこから数台を輸入。ただ5ドアは1台も残っていなかったため、日本の地を踏んだのはおそらくこの1台のみとなったようだ。ちなみにグリフを輸入する前に(おそらく)XTの5ドア、その他のグレードの5ドアも若干数日本に上陸しているらしい。
グリフはプジョーのシンボルマークであるライオンが、なわばりの示すために残す爪痕を意味し、プジョーには106のほかにも205、206、207、208、308、405、408、508、2008、3008など、それなりにラインナップされている。日本で比較的よく見るのは、206や308のグリフだろうか。ボディーカラーは当該車のモスグリーンのほか、シルバー、ブラウンなどのシックなものが選ばれている。
乗り込んでみると、とても不思議で新鮮な雰囲気。よく知るクルマなのに、革シートだし、目の前はベージュ一色に加え、ウッドパネルがあるのだから。走り出してみると足回りは非常にソフト。XSiベースなので、もともとしなやかな足回りなのだけど、それ以上にやわらかく感じる(ダンパーが抜けているせいもあるかも)。シフトのフィーリングも当たりが軽く、気持ちよく各ゲートに入っていく。クラッチも驚くほど軽い。しっかりとメンテナンスして、大事にしてきたんだろうなぁ。運転しながらそんなことを感じると同時に、このクルマを峠道に持ち込んでみようと思った。高級車風情をしていながらも、直感的に「やっぱり106は走りでしょう」という先入観が消えなかったからだ。
いつも行く峠は序盤に長い直線がある。そこでアクセルを深く踏んでみる。エンジンの回りは軽い。低中速域にトルクの山があり、スタートダッシュは鋭い。上まで回すとちょっと苦しそうでパワー感もなくなるため、早めにシフトアップしていくのが良さそうだ。
ギア比はXSiから変わっているのだろうか。106 S16に比べてワイドだと思う。90ps/14kgmという大したことのないスペックだが、体感的には速く感じる。
足回りも前期特有の粘りのある感触。じんわりとロールしてなかなか地面を離さない。峠レベルの速度域では、S16のように不意にアクセルを戻してもスパッとテールが流れることもなく、安心して攻めることができる。
一方、ブレーキはかなりプアだ。効きも剛性感もないので、うまく減速するためには踏み方に気を遣う。やわらかめの足は、S字コーナーのような振り返しのあるシーンではちょっとばかりスリリングだ。ダンパーが抜けているせいで左右のロールがなかなか収まらない。それでもその特性を見極めて走ると、楽しさがこみ上げてくる。下りはその軽さをいかしてまた違った楽しさが味わえる。もっとブレーキが効けば、かなり攻め込めるはずだ。運転していると、自然の笑みが出る。やっぱり106は楽しい。走ってなんぼのクルマだ。
高級車風情の、走りには縁遠いスタイリングをしていながら、峠道をスイスイとスムーズに駆け抜けていく……。そんなミスマッチもまたこのクルマの魅力ではないか。
もちろん、街中をチョコマカ走るのにも最適なサイズと動力性能を備えている。トルクフルなエンジンだから回さなくて快適に流れに乗れるから現代の交通事情でもまったく問題ない。むしろいま106に乗ると「なぜクルマは皆あんなにデカくなったのか」と思わざるを得ない。安全性の確保は時代の要請だから仕方ないにしても、本当はこのくらいのサイズがちょうどいいんだよね。
5ドアによるシャシー剛性はどうかなんて、野暮なことは言わない。3ドアでも、もともと緩いボディの106。5ドアになっても緩いことには変わらない。ただ怖さを感じるくらい極端に緩いわけではないので、安心してほしい。出先でいい感じの道があれば、迷わず踏んで楽しんでほしいと思う。
そう考えると、このクルマはおもしろい立ち位置にあると思う。3ドアのXSiよりも使い勝手の面では有利だし、こんなナリをしていながら、走ればやっぱり楽しい。日常の使い勝手、高級車の雰囲気、走りの楽しさのすべてを味わうこと(あ、日本で1台という希少性も)ができるなら、満足度は相当高い、と私は思う。
このクルマのどこに価値があるのか。それを見出すのは人それぞれで、中には20年も前のクルマであっても所詮106。希少性はあっても価値はないと思う人もいるだろう。ただ、こういうクルマが現役で走っていてほしい、生き残っていってほしいとは思うはずだ。きっとその想いがあるからこそ、過去のオーナーから現オーナーまで引き継がれていっているのだと思う。そういった目に見えない想いは、プライスレスでなかなか伝わらないもの。でも、きっとそれを「愛」と呼ぶのだと思う。
106グリフが高級車かどうかと聞かれれば、私は否だ。でも、高級な“雰囲気”は味わえる。しっとりとした革シートの感触、ときどき目に入る助手席のウッドパネル。触り心地のいいウッドのシフトノブ……。これらは所有する満足感と心の充足感を与えてくれる。さらにそのポテンシャルは街中をゆっくり流すだけにあらず。峠道も軽快にこなすことができるのは、走りのXSiベースだからこそ。だから私は106グリフを「高級感のある(希少な)ホットハッチ」と呼びたい。こんなクルマ、なかなかない。
PHOTO & TEXT/Morita Eiichi
全長×全幅×全高/3564mm×1592mm×1367mm
ホイールベース/2385mm
車両重量/890kg
エンジン/水冷直列4気筒SOHC 8V
排気量/1587cc
最大出力/66kW(90PS)/5600rpm
最大トルク/137Nm(14kgm)/3000rpm