モノの価値資本主義経済な訳ですから。
とはいえ、私、学生の頃は非常に横着な学生だったので、間違ってたらすいません。 モノの対価を貨幣で支払って、が基本原則で資本主義経済は成り立っているわけです。
労働等もそれ相応の対価(と思うかどうかはその人次第)で給料として支払われます。 それで得た収入を基に、欲しいもの必要なものの対価を払ってそのものを入手する。 そのものを売る仕事をしている人・企業(小売店)は、そのものを売る値段より若干なりとも安い値段で仕入れて、その差額を収入又は利益とする。 小売店単一ではそれほど量販が望みにくいから、それを取りまとめる"問屋"なる商売も存在して、やはり小売店と大同小異な形態でものを流通させ、収入又は利益を得る。 修理点検等を事業として行う場合は、その単純に言えば手間賃と、そこに関わるリスクや経費等を加味して、作業費用、点検費用等を得ることで、収入又は利益を得る。 メーカー、製造者は、そのものを原材料等組み合わせて製品を製造する。それを問屋なり小売店に卸すことで収入なり利益を得る。 部品メーカー・原材料生産者(?)は、そのメーカー、製造者にやはりその原材料をメーカーに納入することで、収入なり利益を得る。 という既知の事実、があります。 ここに、物流コストと在庫コスト、リスク等、場合によっては為替レート等が加味されて、最終的なものの価格が確定されます。何人の人がそこに関わっているか、で、何人が喰っているかを考えるとわかりやすいか。 じゃあ、何が何を以て安い高いと言うか? 世の中どう考えても製造原価や納品単価を下回って物販することはまず無理。じゃあ、そこに関わるコストをどう切り詰めるか。量販が望めるものであれば、大量に仕入れて流通コストを抑え、でも在庫もうまいこと調整していけば、削減することも可能。 でも、たまーにしか需要がないがそのたまーにが一部で重要、な場合は、その在庫リスクやロス等のリスクを加味せざるを得ない。 要るものがすぐ手にはいるのであれば、そこにかかるコストもその商品価値の一部。 一般的でないものを入手する場合も、そこにかかるコストもその商品価値の一部。 と考え出すと、無限ループに陥りますし、吊しのどこでも手に入るものしか妥当な値段で入手できない、の解に至る。 が、そこに趣味性が加わると・・・詰まるところ、その価格が及べるか及べないか、が価値判断基準になるのでは? あなたがそれを及べないほど高いと思うのなら、そのものはあなたが想定する価値のもの以上の価格、な訳ですね。ならばしょうがない。買わないでおきましょう。 signale a : 月 - 2月 19, 200711:42 午前 supérieure |