今時流行らない浪花節


モノ売りを生業としてますので・・・

何を基準、考慮において"お買い物"を致すかの感覚が、最近変わってきたような気がします。

価格、納期、品質等が過剰に重視されてきて、消費者がインターネット等を自由に駆使して取捨選択をする。

それ自体はなんら悪いことでもないし、私もその渦中に居ます。

が、私自身は、そう、モノ売りを生業としていて、しかもその売ってるモノが一般のヒトからすると、"かなーりケッタイなもの"なんです。

疑われ出したらきりがない。のは周知の事実。

だって、そもそも中古車大古車 どちらも、品質なんか一定ではない。なにをどこまで手を入れてあろうが、一見同じ車が綺麗か汚いか、距離が多いか少ないか、くらいの差でしかない。(ある意味暴言)
新車でさえ、所詮イタリア人フランス人が作ってる。世界に冠たるFussy な日本人の要求するクオリティをどこまで満たしてるか・・・最近の新車はまだよくなってきましたけどねぃ。
様々な部品等でも、同じことが言えてしまいます。
ことがものを治す、になった日には、求められるモノはその結果のみ、な訳で、そこに至るまでにさくっといくか幾多の艱難辛苦があるか、それを面倒と思うか、挑むか・・・そこに付随するコスト・・・より曖昧模糊な世界になっていきます。

でも、その本質を認めて、求めてくれるヒトがいるから、そういったモノを用意してひひひと待ちかまえてる私みたいなヒトが居るんです。

様々な要件を、過去の経験や理屈等、いろんな案件を突き合わせて、時には諦めざるを得ないこともある、受け入れざるを得ないこともある、手を施したり細工したりで対応できることもある・・・どうしようもないこともある。で、その結果、これなら宜しかろう、で商品として売るわけですが・・・

結局のところ、それが私の作り出すことのできる品質であり、その品質は最終的に信じてもらうしかない。ただいかんせんその品質は、そのもの本来が持つ性能を超えることはまずできない・・・その微妙なバランスを保っていくしかない。
最終的には、自分のわかる範囲での現実を指摘する、に終始してしまう。

口でうまいこといって言いくるめて売ってしまうのも、自分が納得いかないモノをあとは野となれ山となれでとりあえず売ってしまえ、も、自分がよくわからないものを売ってしまえ、も、営業マンとしては低レベルな私にはできません。できることは稚拙ながらただ真摯に現実を把握して、商品とお客さんの仲立ちをすることだけ。

でも、それすらも、今の時代、最初の価格・納期・品質等タイトルに謳えるモノではないですから。手をかけれればそれはそれで価格に跳ね返ってくるのは周知の事実。右から左にモノとお金を動かしてするだけの商売なら、ヒトは介在しなくても充分。私じゃなくてもできる。安いが至上主義もさもありなん。同じモノならね。言われたことするだけだったら誰でもできるだろうし。

ですので、結果、安くない、とか、に至ってしまうこともしばしば。

別にいいですよ、私のことを参考にして結果"安いとこ"で同じモノを買っていただいても。3回くらいすると私も勉強しますから。(笑)

signale : 木 - 5月 4, 2006 a 11:14 午前          


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